健保連海外医療保障_No.134_2024年9月
74/82

71健保連海外医療保障 No.134デンマークでは見事に解決しているのである。一方で、日本の自治体はより少ない予算の中で自主的にできる範囲は限られており、福祉分野においては、民間によるサービス提供が主流である中でサポート役を任じている。その結果、サービス全体を統御しづらく、必要なサービスの展開は容易ではない。従って、日本においても、特に自治体において高齢者分野の財源をもっと増やし、地域の実情を把握している自治体にこの分野を統御させるべきだと考える。高齢者分野にだけ財源を増やすなんてできるわけはない、という声は出るだろう。そして、日本は、医療保険料や介護保険料の引き上げで負担を増やし、一方で、年金の給付額抑制など支出を抑える手法を選びがちである。それが国民性なのだから仕方ない、と言われてしまえばそれまでである。しかし、地域共生社会を掲げて、誰も取りこぼさない社会保障を目標とするには、所得に応じた支援が中心の仕組みは不完全であるとしか言えない。誰もが痛みを共有し、かつ誰もが満足できる税による徴収は不可欠であると考える。こうしてひねり出してきた財源を、自治体に移譲すればことが済むかと言えば、そうではない。先のNPMといった手法など、自治体も運営を民間並みに考えていかなければならない。した市民社会と呼ばれえるものであろう。コムーネが統括するケアプログラムの存在の横には、常に、高齢者主体の活動があり、補完してきている。どれだけ公的サービスを充実させても、できることには限界がある。日常の隣同士のちょっとした声かけや見守り、のような“行為”を公共サービスとすると、逆に“監視社会”ではないかという批判が生じる危険性もある。とはいえ、一日の中で一瞬だけ目を横にやって、新聞受けに新聞がたまっていないか、たまっていればもしかしたら家の中で倒れているのではないか、などを配慮するのはとても大切なことである。そうした配慮が行えるのは、隣人や地域ではないだろうか。そこで、高齢者主体の活動が必要となってくるのである。デンマーク中北部のノアフュンス・コムーネでは、高齢者ボランティア団体「エルドア・セイエン・ノアフュン支部」が高齢者の日中活動の場の開催などさまざまな活動を行っている。エルドア・セイエンは全国組織であり、各支部のバックアップを行っている。日本でも町内会や自治会、老人会のような地域単位の活動はあるが、世代替わりなどで活動が尻すぼみになるところも多い。そのため、デンマークのような全国組織のバックアップは心強い。また、デンマークの高齢者委員会の存在はまさに、民主主義を象徴するものであり、高齢者自身が施策に影響を持つという点で、成熟した市民社会を感じさせる。高齢者委員会は、コムーネの高齢者関連の施策を確実に捕捉して、意見を言うことができる。ミドルファート・コムーネの高齢者委員会では、委員長がそれまでのコムーネの議員でもあり、在宅生活を支える配食サービスの内容を変更させたという。図6はデンマークの市民社会の中での高齢者主体の活動の関わりを図示したものである。コムーネは、高齢者へのケアサービスを中心的に担い、民間事業者の関わりは低い。公共サービスで多くのことをまかなっているが、そこにエルドア・セイエンなどの高齢者主体の活動が公共サービスの足りない部分を補完しているので5. 成熟した市民社会、民主主義の獲得デンマーク人と話していると、二言目には「Democracy(民主主義)」という言葉が出てくる。簡単に言えば、「話し合って決める」である。なにも難しい制度の話をしているわけではない。しかし、そこには、「話し合う」ために、誰もがその場に参加し、決定に影響力を及ぼすことが担保されている。これを象徴するのが、国政選挙での投票率は常に85%前後であるということである。誰もが幼いころから、誰かが決めるのではなく、みずから話し合いに加わって決定することを経験しているから、形成されてきた国民性ともいえる。こうした民主主義が当たり前のように実践されている社会こそ、成熟

元のページ  ../index.html#74

このブックを見る