健保連海外医療保障_No.133_2024年3月
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59健保連海外医療保障 No.133計画相談室を設置し、家族計画要員を養成し、全国に配置した。1963年には、保健局に母子保健課を設置し、積極的に避妊事業を推進した。女性の避妊術である子宮内装置の施術を普及させ、またそれまで禁止されていた避妊道具を合法化し、経口避妊薬を普及させていった。さらには刑法に規定された堕胎罪を「母子保健法」を通じて人工妊娠中絶を許容する事由を規定し、部分的に合法化した。避妊事業はこれ以降も持続的に展開されるなかで、男性と女性の半永久的避妊法(不妊手術)と子宮内装置の施術を医療保険の給付対象とすることも行った。また、不妊手術奨励政策として、不妊手術を受けた場合に、政府が住宅資金の優先権および福祉住宅支給の融資の優待や子どもの無料診療を行い、低所得層が不妊手術を受ける場合には生計費の補助や就労事業への参加の優先権を付与することなども実施した。1990年代半ばになってからは人口抑制政策の問題が認識されるようになったことから、人口抑制ではなく人口資質向上のための政策へと政策方針が移行していく。そのことにより、これまでの避妊の推進ではなく、妊娠・出産の健康支援の推進へと向かい始めた。まず、人工妊娠中絶の予防事業、性病予防事業の拡大が中央政府の事業として推進された。また、自治体レベルでは、精管・卵管の復元手術に対する費用支援事業、不妊夫婦を対象とした治療費支援事業、新婚夫婦を対象とした健康診断事業、そして出産した女性に対する産後ケア支援事業などを推進した。このように人口政策として1960年代から1990年代初頭にかけての人口抑制政策のなかで、妊娠や出産の抑制のための家族計画事業と避妊事業が母子保健事業の一環として進められ、1990年代半ば以降からは人口資質向上を政策方針に据え、事業内容は妊娠・出産の健康管理のための事業へと移行していった。この流れのなかで周産期医療は母子保健事業を軸としつつ医療保険と関わりながら広がりを見せていったといえる。(2)少子化を背景に広がった妊娠・出産支援上記のように強力に進められてきた人口抑制・人口資質向上の考え方が、2000年代に入って大きく転換した。そのきっかけとなったのは、急速に進んだ少子高齢化である。2002年には合計特殊出生率が1.17となり世界最低水準を記録したことや、制度的な成熟を迎えていない国民年金の財政の枯渇問題が発表され、韓国政府は少子高齢化社会に対する政策対応へと進むことになった。まず政府は、少子化が社会問題として台頭したことを受けて、2004年10月に少子化問題を解決し新たな人口政策の礎を築くため、出産奨励のための国民健康保険での支援を画期的に拡大する計画を発表した。具体的には、それまでの家族計画事業の一環として進めてきた避妊に関する手術については出産奨励政策の方向性に合致しないとして国民健康保険の非給付化とし、一方で精管・卵管の復元手術を保険給付化した。また、妊娠から出産までに発生する各種医療費用に対する妊産婦の負担の重さのために出産を避けることがないように、国民健康保険での支援を拡大する方針を示した。具体的には、翌年の2005年度から自然分■で出産した場合には、発生する入院料、分■費などすべてを保険給付化するとともに、自己負担分を含め国民健康保険で支援することとした。そして、早期出産や低体重出生児などの未熟児の治療にかかる入院料やインキュベーター(保育器)使用料などをすべて国民健康保険で支援することとした。政府は、このように国民健康保険で出産支援を行うのは、出産奨励のための政府による強い意志の表れであるとし、また、国民の妊娠と出産の困難に対する積極的な支援は新たな人口政策の始まりであるとした。そして、その後も妊娠・出産に対する支援政策を持続的に拡大すると表明した。以上のように少子化問題を深刻に受け止め、妊娠・出産支援策を拡大する方針を明らかにした政府は、前述の通り、2005年には少子化および高齢化に対する法的根拠として低出産・高齢

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