健保連海外医療保障_No.133_2024年3月
26/78

23健保連海外医療保障 No.133への対策と貧困状態の改善が主な社会的関心事となった。その中で、まず貧困状態にある妊産婦が社会的救済の対象者となった。1889年にパリで開催された公的救済国際会議の影響も受けて1893年に成立した医療救済法4)では、資力を欠く病者(malade)は無料で医療救済を受けることができ5)(1条1項)、産褥婦(femme en couche)は病人とみなすこととされた(1条2項)。救済を受けるには、各市町村に設置された扶助事務所(bureau dʼassistance)が作成する貧窮者登録簿(liste dʼassistance)への登録が必要であった。20世紀初頭に進展した労働者保護法制では、妊産婦の保護に関する規定も整備されていった。1909年11月27日法律は、女性労働者に産前・産後休暇を保障したが、取得は義務ではなく、休暇中の賃金の保障もなかった。1913年6月17日法律では、産後4週間の女性の労働が禁止され、産後休暇の取得が義務となった(産前休暇の取得は任意)。また、資力のない妊産婦である女性労働者には、産前・産後休暇の期間中、日額手当を受ける権利が認められた6)。この時期、特に第一次世界大戦下で女性労働者に関する立法が進んだ背景には、戦時下で女性労働力が貴重な存在となったことや、1919年のILOの母性保護条約(3号条約)の採択といった国際的動向の影響が指摘されている7)。第一次世界大戦後、フランスでは人口減少を止めるべく、出産奨励高等評議会が衛生省内に設置され、乳児死亡率と妊産婦死亡率を低下させるための保健医療政策と出生率を向上させるための家族政策に力点が置かれるようになっていく。この頃、ドイツ統治下で社会保険制度が実施されていたアルザス・ロレーヌ地域の返還も機縁となって、フランスでも社会保険制度の準備が進められていった。医師団体や使用者団体の強い反対がありながらも、1928年4月5日法律8)によってフランスで最初の社会保険制度が創設された。それは年間所得18,000フラン以下のすべての被用者を対象とする強制保険で、疾病・廃疾・老齢・死亡のリスクをカバーし、家族扶養と出産(maternité)の費用を負担するものであった9)(同法1条)。ここでは疾病のリスクと出産の費用負担が区別されており、疾病保険とは別建てで出産保険が設けられている点が注目される(ただし、後述の通り、現物給付の内容は医療保険とリンクしている)。出産保険の給付については、同法9条で次の4つが規定されている。①妊娠中および出産後6か月間、被保険者および被保険者の妻は、医療保険の条件と制約に基づいて、医療給付と薬剤給付を受けることができる(1項)、②出産前6週間および出産後6週間、被保険者は、当該期間中に全賃金労働を行わず、かつ、妊娠前3か月間に60日あるいは妊娠前12か月間に240日の保険料納付がある場合に、日額補償を受けることができる(2項)、③異常分■の場合には、疾病状態が確認されたときから医療保険が、出産後6か月後から障害保険が適用される(3項)、④子どもに授乳しており、医療保険給付の受給資格を有し、保険料納付要件を満たしている被保険者は、最長1年間の授乳期間中、特別手当10)を受けることができる(4項)。出産保険を含む社会保険制度の管理運営は県単位で設置され、被保険者と日常的に接触する保険者である初級金庫が担う。また、保険料は被保険者の賃金総額の10%(上限15,000フラン)を被保険者と事業主とで折半する(2条2項)。保険の種別により区別されているわけではない。1928年法は成立後も関係団体の強い抵抗が続き、施行されることなく、新たに制定された1930年4月30日法律11)に取って代わられた。もっとも、出産保険の内容については1928年法からの大きな変更はみられない12)。社会保険の中に出産保険が設けられたことについては、「出産保護を救済原理から切り離し、(3)労働者保護法制の整備(1928〜1930年の社会保険法)2. 出産保険の創設と展開(1) 社会保険の形成と出産保険の創設

元のページ  ../index.html#26

このブックを見る