21健保連海外医療保障 No.132フランスの予防接種には「義務」と「推奨(recommandation)」の区別が存在するが、初期に登場した重要なワクチンはすべて「義務」という位置づけが与えられた。最初の義務ワクチンは1902年に導入された天然痘ワクチンである。これにつづいて、1938年にはジフテリア、1940年には破傷風、1950年には結核を予防するためのワクチンが同様に「義務」と位置づけられた。さらに1964年にはポリオワクチンの接種義務が導入された(Fischer 2016:27)。一般的に、ある感染症について人口に占める予防接種実施者数の割合(予防接種率)が一定以上の高いレベルに達すると、当該感染症はみられなくなる。フランスにおいても、初期の義務ワクチンについては、接種率の高まりによって感染症の発生や拡大が抑えられるようになり、二つのワクチンの接種義務が廃止(あるいは一時停止)される状況となった。一つ目は天然痘である。接種率の高まりによって1978年に世界的に根絶されたことを受けて、フランスでは1980年にワクチンの接種義務が廃止された。二つ目は結核の予防ワクチン(BCGワクチン)であり、児童・青年に対する接種義務は2007年に一時停止されるに至った(現在は特定の者に対する「推奨」と位置づけられている)。今日まで予防接種義務が継続されているのは、ジフテリア、破傷風およびポリオの三つの感染症に対するワクチンである。初期の義務ワクチンが出そろった後も、新たに重要なワクチンが登場し、予防接種の可能性が大きく広がっていった。それらのワクチンは感染症から個人や社会を守るために重要であるにもかかわらず、「義務」ではなく「推奨」と位置づけられた。このような位置づけが与えられたのは、人々が以前よりもワクチン接種について知識を得ており、新たなワクチンの接種義務を課す必要はないと判断されたためである(Fischer 2016:27)。このような経緯によって、フランスでは「義務」と「推奨」の予防接種が併存する状態となったが、この違いは、疫学的な面からも、追求される目的の面からも首尾一貫したものではなく、歴史的な背景から生じたものに過ぎなかった(Hurel 2016:17)。そうであるにもかかわらず、「推奨」のワクチンは重要性が低いワクチンであるという誤った理解がなされた(Fischer 2016:12)。フランスでは、1980年代半ばからワクチンや予防接種に対する疑念や不信が一部の人々から表出されるようになったが(Fischer 2016:5)、「義務」と「推奨」が併存していることによる制度の分かりにくさもその背景の一つとなっていた。Fischerによって2016年に取りまとめられた後述の報告書(Fischer 2016)では、予防接種に対する疑念や不信の原因が多角的に分析されている1)。より本質的な問題としては、予防接種によって天然痘やジフテリア、ポリオといった深刻な感染症を克服することができたが、その成功によって、人々は存在しない感染症に対する予防接種の必要性を感じにくくなったことが指摘されている。また、メディアによって大々的に報じられたスキャンダルの影響で、保健当局、製薬産業、さらにはそれらとの共謀が疑われる専門家に対する不信があること、予防接種を受けるまでの複雑な経路(医師による処方、薬局での購入を経てようやく予防接種に至る)が接種を思いとどまらせること等も指摘されている。2002年に患者の権利と医療システムの質に関する法律2)が制定され、本人による自由で明確な同意なしでは、いかなる医療行為、いかなる治療もなされ得ないことが明確化されたが、この法律は予防接種義務に反対する人々によって好都合に利用された。このような状況のなかで、しだいに予防接種に対する信頼が失われていった。図1は予防接種に対する人々の支持の変化を示したものである。2000年から2016年の対象期間中、予防接種に対する支持は低下傾向にあるが、とりわけ2005年から2010年にかけて予防接種への支持が大幅に低下している。これは2009年に発生した新型インフルエンザ(H1N1)パンデミックへの対応の不十分さが原因とみられ1. 歴史的背景
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